395日目 涼宮ハルヒの憂鬱を見た僕の憂鬱

涼宮ハルヒの憂鬱を見ました。何で今更?って感じですがこれには2つのしょぼい理由があります。
まず一つ目。ハレハレユカイをオリコン1位にしようぜ!などと盛り上がっていたときに一度見たのですが全然内容を覚えてなかったのでもう一度見ようと思ったのです。多分2ちゃんねるでスレでもチェックしながら見ていたのでしょう、笑っちゃうくらい新鮮に見れましたw
そして二つ目。この前家に来ていただいた大学の同級生の方から3日前にハルヒを全話見たとの連絡を受けました。それでハルヒどうよ?って話になりました。おそらく僕からアニメ・特撮の話を奪うともはや僕とコミュニケーションが成り立たなくなるということを知っての彼なりの配慮なのでしょうw
でも悲しいかな、ハルヒのことなんて頭からすっかり消え去ってしまっている僕はしょぼい対応しかできず何というかすごいくやしい気持ちで一杯になりました。「アニメを語れないキモオタなどただのキモ」とはよく言ったものです(嘘、誰も言ってないw)。キモオタならば「○○たんは××だから萌え〜だよね!」くらいは瞬時に言えるようになっておきたいものですね、多分...
と言うわけで(?アニメ、涼宮ハルヒの憂鬱を二日掛けて見ました。見た順番は憂鬱Ⅰ〜Ⅵ→退屈→ミスティックサイン→サムデイインザレイン→射手座の日ライブアライブ孤島症候群とかなり適当。一話一話の完成度が高いから順番ばらばらでも面白いです。
↓そして一気に見た後の僕↓

    (-_-) ……
    (∩∩)


ここ数年でもトップレベルの欝モードになったw

何が欝かっていう話の前にちょっと小学校時代の思い出話を。あれは小学3年生だったかな?かの有名なスピルバーグさんが監督した映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見たときです。楽しい映画でしたが同時にすごい恐怖を覚えた映画でもありました。
過去を書き換えたり修正できるタイムマシン。僕と全く関係ないところで歴史が書き換えられていく恐怖。一秒前の僕の記憶は改変された歴史によって作られた偽の、もしくは無限にいたであろう「僕」の数ある記憶の一つなのかもしれない、そして今の僕も一秒後には存在しなくなっていてまた別の「僕」が僕の記憶を若干の改編を伴って引き継がれているのかもしれない。
それにもし仮に自分の記憶、そして存在が完全に保障されたとしてもそれが何になるんだろう?僕の存在が保障される必要なんてあるのだろうか?
そして結果的に自分がいかに無価値で無意味な存在なのだろう、という結論に至る。小学3年生の僕には結構ショッキングな結論でかなり欝モードに入った記憶があります。俗に言う「アイデンティティの危機」ってやつです。こういうの皆一度は考えるよね?僕だけだったらかなり恥ずかしいですw
...と昔話はこれで終わり。憂鬱Ⅴでハルヒは何故自分がそこまでこだわるのかをキョンに告白する場面があります。
「小学生の、六年生の時。家族みんなで野球を見に行ったのよ球場まで。あたしは野球なんか興味なかったけど。着いて驚いた。見渡す限り人だらけなのよ。野球場の向こうにいる米粒みたいな人間がびっしり蠢いているの。
日本の人間が残らずこの空間に集まっているんじゃないかと思った。でね、親父に聞いてみたのよ。ここにはいったいどれだけ人がいるんだって。満員だから五万人くらいだろうって親父は答えた。試合が終わって役まで行く道にも人が溢れかえっていたわ。
それを見て、あたしは愕然としたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体で言えばほんの一部に過ぎないんだって。家に帰って電卓で計算してみたの。日本の人口が一億数千ってのは社会の時間に習っていたから、
それを五万で割ってみると、たった二千分の一。あたしはまた愕然とした。あたしなんてあの球場にいた人混みの中のたった一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた球場の人たちも実は一つかみでしかないんだってね。
それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気付いた。
あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国の全ての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気付いたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。
夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ご飯を食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやってる普通の日常なんだと思うと、途端に何もかもがつまらなくなった。そして、世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ、
そうに違いないと思ったの。それがあたしじゃないのは何故?小学校を卒業するまで、あたしはずっとそんなことを考えてた。考えていたら思いついたわ。面白い事は待っててもやってこないんだってね。中学に入ったら、あたしは自分を変えてやろうと思った。
待ってるだけの女じゃない事を世界に訴えようと思ったの。実際あたしなりにそうしたつもり。でも、結局は何もなし。そうやって、あたしはいつの間にか高校生になってた。少しは何かが変わるかと思ってた」


分かる、分かるぞハルヒ(つД`)


この場面で今まで漠然としか見えなかった彼女の心のもやもやがはっきりと表現されました。そしてその瞬間もう僕にはハルヒしか見えなくなりましたw
アイデンティティの危機」から自分自身を肯定できる「自我同一性」へ、青年期(14、5歳〜24、5歳)の頃に起こる変化らしいのでハルヒはちょうどど真ん中ってところです。サムデイインザレインを見るかぎり、徐々にですがハルヒは自我同一性を確立できてきているみたい。がんばれ、ハルヒ!そしてハルヒよりも全然年上の僕はもっとがんばれ!w




久しぶりに超絶電波文を書いてスッキリですw