86日目

サクラ大戦3の感想を書こうと思いましたがそれ単体だとなんか味気ないと思ったので〜熱き血潮に〜とⅤと比較しつつ書いていきたいと思います。思いっきり主観で無勉強なのですがまあ雑記ですしおゆるしください、つーかだれも読まないでしょうし('∀`)

個人的に感じた作品のテーマ

〜熱き血潮に〜:人には知ることができないことがある、真実を求めるあまり立ち止まってしまうのなら自分が信じたことを突き進むべきだ。
3:たとえ知ったとしても真実は1つではない、それならば自分の正義を遂行するべきだ。
Ⅴ:世の中には色々な思想があるけれど、手段は違えどどれもこめられた願いは1つである。

大神一郎と大河新次郎

大神一郎と大河新次郎には考え方に大きな差がある。大神には絶対に曲げることのない信念のようなものがある。それは市民を守るということ。大神はこれをなによりも大切に思っている。それもある人が見れば異常とも思えるくらいに。その点新次郎は大神のような異常ともとれるほどの信念は持っていません。おそらくそこは海軍に入った動機の違いではないかと思います。大神は自分の意思で海軍に入隊をしている。そこは新次郎も同じなのでしょうが新次郎は大神に憧れのようなものを持っていたと思われます。(〜熱き血潮に〜で大神の母親が手紙で語っていた...たしか...)つまり自分の正義を実践するために海軍に入隊した大神に対して新次郎は大神のようになりたいといった漠然とした目標しかなかったと考えられます。それでも主席で卒業してしまうあたりはすごいとしかいいようがないですね。

大神一郎と大河新次郎2

大神は他者から物事を学ぶということをほとんどしない。逆に大神は常に他者を導く方にいる。それは彼が自分の価値観に絶対の自信をもっているからだ。そして新次郎は他者から色々と学ぼうする。その過程で他者を導くということはあるけれど。僕はアニメとかをあまりみないので完全に推論なのですが大神のような主人公は非常に珍しいと思う。(こんなにサクラ大戦とかローゼンメイデンとか仮面ライダー555を熱く語っているにも関わらずアニメをみていないというのは小学生のときにアメリカにいたこともありアニメ作品はサザエさんなどを含めても10程度しか見ていないと思う。逆にサクラ大戦ローゼンメイデン仮面ライダー555くらいしか語れないということです。)そして新次郎は割と王道な主人公だと思う。

大神一郎の絶対正義

大神のように絶対正義を謳うキャラクターは総じて極論に走ることが多く悪として書かれることが多い。仮面ライダー555を初めとする白倉三部作はこの絶対正義というのを徹底的に否定した。しかし〜熱き血潮に〜、3では大神を絶対正義として書いた。絶対正義の否定という王道のパターンをとらずにあえて絶対正義を謳った〜熱き血潮に〜と3は「真実なんて考えたところでわからないものなのだから立ち止まらずに信じたことを信じ続けていいんじゃない?」といった感じのメッセージが含まれているように思えました。カントの定言命法みたいなものでしょうか。つまり大神は定言命法に則って人間としての真の自由をなんたらかんたら!なんかよくわかんなくなってきました...

〜熱き血潮に〜と3が示すテーマ

仮面ライダー555を初めとする白倉三部作では「真実なんてない、あるのは力への意思」みたいなニーチェっぽい思想が感じられますが、〜熱き血潮に〜と3はそのような結論に対して「超人にはなれそうにないし、どうすればいいんだよ!」の答えの1つを提示しているのではないかと考えます。そう考えると〜熱き血潮に〜と3もなかなかよい脚本を書いていると思います。

Ⅴが示すテーマ

Ⅴは主人公が新次郎に変わります。大神がいなくなったのでテーマは大きく変わっていると感じました。僕個人が感じたⅤのテーマはずばり「どんな思想も手段は違えどどれもこめられた願いは1つである。」です。これはかなり王道なテーマであると思います。個人的にはⅤのようなテーマは大好きです。どんな人とでも分かり合うということは可能なのではないかという気持ちになれます。仮面ライダー555も話自体は暗いものでしたがテーマ的には希望のあるものでした。

Ⅴのテーマの問題点

白倉三部作やガンダムにもいえることですがこれらの作品のテーマは心地よいですが現実の生活に持ち出すと危険なことが多いと思います。個人的な経験からの推論ですがこれらのテーマはかなり危険な考えとして認知されている傾向が強いと感じます。難しいです。



もはやなにが書きたかったのかよくわからなくなってきました。今日はこのくらいで。