64日目

被害妄想part2です。今日もふとどうでもいいことを考えてしまいました。いつも通りなんの推敲もなされてない文ですがただの妄想なので...というか「普通の人」という言葉の使いかたがすごい問題があるな...なんかいい言い方ないかな?
今日は(というか今日もですね...)「キモイ」について少し書いてみたいと思います。
僕はいままで他人のことをキモイと思ったことはないと思ってました。だれかが「あいつはキモイ」とか「イタタタ...マジひくんだけど」みたいなことを聞くと「あんたはどういう神経をしてるんだ」などと思ってました。「キモイ」という感情が理解できませんでした。でも実は僕も日常的に「キモイ」という感情を感じているのではないだろうかとふと思ったのです。
「キモイ」というのは自分が理解できないことに対する恐怖、不気味さというものを指すのではないでしょうか。例えばある事柄に対してAさんはとても詳しく、その事柄に対してとても愛着があるとします。そしてBさんはその逆で無知で嫌悪感すら抱いてしまうような事柄であるとします。するとBさんはAさんに対して恐怖や不気味さを感じると思います。ここでは嫌いとかそういうレベルではなく嫌悪しているというのがポイントです。理解したいとも思わないというレベルですね。自分が嫌悪してるものに対して喜んでるのでしょうからそれはとても不気味に写るでしょう。極端な例をあげるとするとやはり犯罪でしょうか。快楽犯罪といいますかなんの理由もなくただ自分の快楽のためだけに犯罪を起こすというような人はやはり一般人からは理解されることはなく恐怖の対象になりますし嫌悪されるでしょう。そしてこれが日常生活になるとその対象が例えば趣味だったり、ちょっとした行動だったりとなるのでしょう。理解できない行動、例えば電車の中で平然とアニメの話をする人達などをみると普通の人は「キモイ」と思うでしょう。それは「公衆の面前でアニメという一般的にイメージの悪いされるような話題を平然とする」ということに対して理解ができずその場面は不気味に写り嫌悪感を抱いてしまうということではないでしょうか。身だしなみに対してもそうです。服にとても無頓着で毎日同じ服を着て生活しているのも普通の人にとって「服にとても無頓着で毎日同じ服を着て生活する」という状態はとても理解しがたく、不気味に写るでしょう。
なんか長ったらしくなってきた...
まあとにかく「キモイ」という感情は自分の理解を超えているものであり嫌悪感を感じるほど嫌いなものを肯定されいる場に遭遇することで起こると考えました。
話を最初のほうに戻します。なぜ僕が他人のことをキモイと思ったことがないと思ってたかというと僕自身が普通の人が「キモイ」と感じるようなものをもってるからだと思います。協調性がない、アニメ大好き、漫画大好き、服はいつも同じの、ひげはそらない、2ちゃんねるは一日1時間以上、ゲーム大好き、爪をかむ、人の目をみて話さない、髪を梳かさないetc...まあまだあるでしょうがとにかくどれをとっても「キモイ」といわれるに足るものはもってるといえるでしょう。だからというわけではありませんが僕は他人のことを「キモイ」と思ったことがないと思ってました。それも「キモイ」と思わないようにしようというレベルではなく「キモイ」と思ったこと自体ないと思ってました。
ただその考えは残念ながら間違っていたのかもしれません。
僕は普通の人が「キモイ」と思うようなことに対しては全く「キモイ」とは思いませんが実は僕は一般的にみて常識ととれる行動に対して「キモイ」と思っているのかもしれないのではという考えです。例えばなにかの集まりで「みんなが一生懸命場の空気を作っていこうとする」という状態をみるといたたまれない気持ちになります。これは「話すネタを無理やりつくる」ということが僕には理解できない状態でありとても不気味に感じます。僕は話すためだけに話すといいますか、手ごたえのないといいますか、とにかくそういう会話は大嫌いです。本当になにがおもしろいのでしょうか。そんなことに時間使うくらいならサクラ大戦を少しでも進めるほうがマシと結構本気で思ってます。このような感情が「キモイ」ということなのでしょう。
僕はたまに普通な格好をしよう、普通な行動をしよう、普通な感覚をもとうと思ったりしますが瞬時に挫折してしまいます。一番長く続いたのが普通な格好をしようで2〜3週間くらいでしょうか。とにかく続きません。でもそれは僕の中で「普通=キモイ」という図式ができているからかもしれません。自分が嫌悪していて不気味に感じていることができるわけがないのでしょう。
そう考えると普通の人がオタクのことを「キモイ」と称するのは当たり前のような気がしてきました。オタクのことをわかってくれというのは無駄な要求かもしれませんね。キモイものを理解しようとするのは大変なことです。オタクのことをわかりたいと思ったのかどうか知りませんが僕にオタクについて質問してくる人がいますが、かなり質問の内容がひどいです。正直傷付きます。質問のいたるところにオタクに対する嫌悪感が見え隠れします。そしてどんなにがんばっても(少なくとも僕は)その人のオタクに対する嫌悪感を拭い去ることはできません。多分逆もしかりでしょう。他人が僕に例えばファッションのすばらしさを説いたところでそう簡単に僕は納得しないと思います。わかりたいと思ってもどうしてもわかれない、わかりたくない、その心の壁が「キモイ」というものなのでないでしょうか。
お、なんかそれっぽい結論になった。




なんかもしかして今僕はすごい当たり前のことを自信満々に論じたバカなんじゃないかという恐ろしい考えがふと頭の中に浮かんだんですが...