180日目 いつも怖い...だから一生懸命逃げてる...また生きるために..

久々に(半年ぶりくらいか?)ふたりはプリキュアMaxHeartを見ました。もちろん魔法戦隊マジレンジャー仮面ライダー響鬼も一緒に。
ふたりはプリキュアは陳腐でつまらない作品だなぁ...と思って番組開始早々視聴を切ってしまったのですが今日見てみたら不思議なことに全然面白かったのです。30分間テレビ画面に釘付け状態。一体何故?どういう心境の変化でしょう?半年前は「陳腐でつまらない作品」、今は「テレビ画面に30分間釘付け」。そこで気がつきました。僕がプリキュアを見ていなかった半年間に積んだ修行の数々を。
これとか、
これとか、
これとか。(答えはリンク先)
修行の成果がもろに出たと言わざるを得ません。
ありがとう、これとかこれとかこれとか!!


来週は仮面ライダー響鬼の最終回です。そこで一足早く総括といってみたいと思います。
仮面ライダー響鬼は前半と後半で分けることが可能な不思議な作品です。29話までを前半、30話からを後半と一部では言われています。というわけで前半と後半に分けて総括していきたいと思います。ちなみに僕は後半を高く評価しているため前半に対しては多少きつめに書きますがご了承ください。
映像美と萌えの前半
前半の最大の売りはなんと言ってもその映像。CGをふんだんに使った演出にキラキラした森の映像は見ててとても綺麗でした。本当の本当に最初の方ではミュージカルもしていました。あの演出はおもしろいと思っていたのですがすぐなくなってしまって残念。後は「萌える」登場人物達。主に「キャラ萌え」という萌え方ができる人にはヒットしたのではないでしょうか。残念ながら僕には「キャラ萌え」というものがいまいち理解できないのでそこにありがたみを感じることはできませんでしたが...僕は「キャラ萌え」とは作品の中からキャラクターと世界を分離する作業と認識しています。前半のキャラクターは仮面ライダー響鬼の世界から切り離しても魅力が損なわれないという特徴がある。例えばヒビキは現実世界でもきっとやさしいし、明日夢とはきっといい友達になれる。この「映像」と「キャラ萌え」の二つが前半の響鬼を支えていたと思う。また毎回多少強引に挿入されていた様にも見えるヒビキが行う説法(いい言い方が見つからない...)も製作者が視聴者である子供達に対して発したメッセージという風にも解釈できる。この辺に教育番組としての配慮があるのだと思われる。
人間の物語の後半
さて後半ですが人の生き様というものに注目させられます。前半はヒビキの説法によって視聴者である子供にメッセージを発していたわけですが後半は人の生き様を見せることでメッセージを伝えようとしている。今回の話の無限の可能性を持つ権利がある人間と可能性を持つことが許されない童子・姫の対比はすごくよかった。パネルシアターの演出も小技が利いていて良い。マッチ売りの少女で斬鬼の死を、笠地蔵で轟鬼の元へ戻ってくる斬鬼、金の斧銀の斧では明日夢の道をそれぞれ示しているところが中々うまい。「言葉」でなく「物語」でメッセージを伝えたのが後半と言える。また桐矢の登場で明日夢は自分の意思を持つようになった。真剣に悩むようになった。ヒビキも人の気持ちがわからない、無神経という自分を理解することによって成長した。その他のキャラクターも同様だ。キャラクターが世界の中で能動的に動くようになった。これで世界からキャラクターを分離する作業が困難になり「キャラ萌え」をすることはできなくなったと思われる。しかしその代わりにキャラクターが生きてきた。僕は「キャラ萌え」というものを否定する。世界とキャラクターを容易に分離できるようなキャラクターはその世界に不要だと思う。だからまず世界ありきのキャラクター描写を行った後半を僕は高く評価する。


意外と長くなっちゃった...
来週の予告に出てきた謎の鬼。一体誰なのでしょう?
本命 桐矢
対抗 おやっさん
単穴 明日夢
穴  井上敏樹(・∀・)
楽しみです。


〜〜追記〜〜
まあこんな風にわかってるような顔で響鬼を語っているけど本当はただ29話までの響鬼が嫌いなだけなんだよね。鬼の仕事に緊張感がなくて人命軽視に見えたのがどうしても受け入れられなかった。多分僕の中で前半響鬼が嫌いな理由の7割はそれですね。